佐々木、イン、マイマイン。
柄にもなくパルコに買い物に行こうと坂を登る道すがら、シネクイントの前で目に飛び込んできたこのポスター。
え、どれが佐々木なの?このイケメン?モジャモジャ?
思わず足を止めて、タイトルを検索。
スマホに流れる予告編を観ながら立ちすくし、すぐに上映時間を調べた。
VIDEO
青臭くて突き抜ける疾走感。
自分の過ごした青春や、こう過ごしたかったという幻想の中の青春が入り乱れて、グリグリと心を持っていかれる。
そして大人になってからの淀み、停滞感。
何が正しく、何が間違っているのか。
突き進む事も彷徨う事も、
何かをする事もしない事も、
何も間違いじゃないんだ、と少し救われた気がした。
スクリーンの中に引き込んでくれた役者さん達が凄かったし、静かにグッと心を掴む音楽も、儚い青春時代と淀んだ今を映し出す映像も、脳裏に焼き付いてしばらく離れない感覚。
色んな人に予告編のURLを送りつけることにします。
あー、もう一回観に行こう。
佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!
佐々木、イン、マイマイン
https://sasaki-in-my-mind.com/
上映館(近くはシネクイント、武蔵野館など)
https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=TSt31hSv
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Category : エイガ
元GOING STEADY/銀杏BOYZのベーシスト「アビちゃん」こと安孫子真哉さんと、同じく元銀杏BOYZのギタリスト「チン君」こと中村明珍さんのオンライントーク配信が行われた。
男として大事な事の多くはゴイステ銀杏から学んだと言っても過言ではない世代(いや、過言かも)なので、この2人の名前の並びを見て興味が湧かないわけがないし、2013年に同時に銀杏BOYZを離脱して以降、断片的な情報しかなかった2人を繋げるものは何なのか、とても気になったので迷わずに配信チケットを購入。
2人の脱退後の経緯は名前で検索すると様々な記事でも紹介されているので詳しくはそちらを見てもらうこととして、簡単に言うとチン君は山口県の島で僧侶!になり農業を営み、アビちゃんはサラリーマンをしながらレーベルを立ち上げ、それから後を追うように農業の道に進んだとのこと。
銀杏離脱後にどう巡って農業まで行き着いたのか、就農するときの苦労や農業界での課題などを、言葉を一つ一つ選びながら丁寧に語る安孫子さんがとても印象的だった。
(聴いて損は無いと思うので、録画もぜひ→https://www.mishimasha-books.shop/items/60016d6272eb465c55b55f4a )
バンドの破天荒な印象が強すぎるし、青春時代においては神格化されていたバンドの人達なので、「ミネタ」「村井」「アビちゃん」「チン君」と、ある意味スターとしてこう呼んでいたけど、今日話していた2人は1人の人間としての「安孫子さん」と「明珍さん」で、なんだか近くの存在になった気がして、嬉しくもあり、ああ時代の流れって巡り巡ってこうやって帰結していくんだな、と不思議な感覚になった。(それがまた好きなミシマ社の企画で、というのも不思議な縁です)
バンドも農業も、それから他の職業にもすべてに言えることは、絶対的に「大変」だということ。その大変が楽しめるものなのか、乗り越えられるものなのか。
安孫子さんはキツイ収穫の時期をバンドのツアーに例え、その先にあるもののために駆け抜けられると言っていた。
大変なものから逃げていないか。自分は逃げた結果、その先にあるはずだったものを見れていないのではないか。そう気付かされ、その衝動を書き留めねばと、ブログを書いています。
BOYS&GIRLS、さくらの唄、童貞ソー・ヤングを聴いて過ごした青春から約20年。
40歳を超えたオジサンの「アビちゃん」から、30歳を超えてオジサンになりかけの自分が、農業の話しを聴いて刺激を受けるなんて。
ここからまた10年、20年。こんなヘンテコな事がまた起こるような、曲がりくねった道を歩んでいきたい。
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Category : ニッキ
週に一度は行く、お爺ちゃんが切り盛りする定食屋B。
特別なメニューは無いが、魚の定食が何種類かあるのが良い。
たまに天然ボケを発揮する店主のお爺ちゃん。
客もまたお爺ちゃんが多く、店主のお爺ちゃん×客のお爺ちゃんの組合わせになった際、要はボケ×ボケという構図になるため、事件が起こりやすい。
先日、食事を追えた客のお爺ちゃんが、お盆をカウンターに上げ、ごちそうさま、と言い残し、店主のお爺ちゃんも「いつもありがとうございます」と返し、客のお爺ちゃんはゆっくりと退店。
(ちなみにこの店主のお爺ちゃんは、初めてきた客にも「いつも」ありがとうございます、と言う。)
実にゆっくり時が流れる昼下がり。いつもの光景のように思われたが。
別の客「あれ、今の人お代払いました?」
店主のお爺ちゃん「・・・・・・あれ?もらってなかったか。はっはっはっ」
・・・
客のお爺ちゃんのゆっくりした動作から、食い逃げする気は毛頭無いだろう(毛髪も無かった)。
思わず、「ナチュラルに食い逃げ〜」とPerfumeの声が頭の中で再生された、平和な午後1時の事件簿でした。
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Category : ニッキ
すっかりライブから離れてしまった。
最後に行ったのはもう10ヶ月も前、時はもうコロナ禍に片足を突っ込んでいた3月初旬、こっそりと下北RegにKOGA RECORDの企画を観に行った。MUGWUMPS(ドラムのKOZOさんは学生時代のバイト先の先輩!)にSpecialThanks、For get me a notsと、僕らが青春時代を共にし、途切れながらもしぶとくその音楽を続けていてくれているキャリアの長いバンドに、Lucie,tooという新顔を加えたラインナップ。本来ならもっと汗をかき、その感想をSNSで披露するべき素晴らしい企画だったのだけど。そうさせなかった世の中の風潮と、それに屈して行ったことを隠していた自分にはつくづく嫌気が差す。
今でも記憶に残っているライブの話をしようと思う。
そのライブは調べたらちょうど10年前の12月。
渋谷o-nestでのandymoriのライブ。ドラマーが交代した直後だったと思う。既にワンマンのチケットは取りづらくなっていたけど、企画ライブは小キャパの箱でもわりと簡単に取れたので、当時はそういうライブを狙ってandymoriのライブを観ていた。(mixiで知り合った、ちょっと年下の女の子と良く通ってたなあ)
1曲めだったかな、わりかし始まってすぐに壮平のギターのストラップが壊れて、ええい!もういい!みたいな感じでヤケになり、ギターなしで数曲を駆け抜けていた。それがまたとんでもない熱量で、まさに、歌うというよりは駆け抜ける、という印象。圧倒され、凄いものを観ているな…と顔がニヤついたのを覚えている。(何曲かそんな感じで、その後はギターが復活した)
o-nestはホールの上の階にバーがあって、対バンライブとかだと出番を終えたバンドマンがそこで飲んでたりするのだけど、その日はandymoriの面々もライブ後にバーで休んでいて、当時上昇気流に乗りかかっていたandymoriに接触するには今しかないと、僕らはメンバーに接触を試みたのだ。
壮平はストラップが切れて思うようにいかなかったライブに少し落ち込んでいる感じだった。その横には、彼女だったのかどうか、かわいらしい女の子がいて、僕らが壮平に話しかけている間も嫌な顔をせずにそっと横に座っていた。すると、壮平が「食べる?」と、その女の子が焼いてきたであろうパウンドケーキを僕らに勧めてくれたのだ。
その味はもう何味だったか忘れたし、もしかしたらパウンドケーキじゃなくてガトーショコラだったかもしれないけど、その時の壮平のやりきれないような表情と、ニコニコと愛想の良いその女の子が作り出した空気は、確かにあの時、ほんの数秒だけだけど、僕らだけの空間だったのだ。
都会のライブハウスの片隅で起こった数秒間の出来事だけど、ほんの少しだけ、andymoriというバンドが醸し出す素の空気感を味わった気がして、なんだか嬉しく、誇らしい気持ちになった。
(ちなみにその後なぜか壮平とは写真を撮らず、ヒロシと2ショットを撮ってもらいました。なんで壮平と撮らなかったんだろう。笑)
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Category : オンガク
人は二郎のもとに平等である。
一度列に並んでしまえば、「ラーメンを欲する者」として、年齢も職業も関係なく平等になる。年収が高くても、モテても。ニートでも、腹が出てても、髪が薄くても。童貞でもヤリチンでも。
総帥が興し、長い年月数多のジロリアンが作り上げた一つの世界観のもとに、平等なのだ。
慣れない者は、自ら学び慣れるほかない。法を犯すものには、容赦ない制裁(冷めた接客・視線)が注がれる。肌に合わない者は、去るのみ。極めて全体主義的で、危険な空間ではあるが、信念(ラーメンを愛する心)を持った者に対しては、格差は無い。
そんな平等な「世界」を求めて、人は二郎に集うのかもしれない。
人はまた、銭湯のもとにも平等である。
背中に絵が書いてあっても、何日間か風呂に入ってないであろうテカテカな髪をしていても、イチモツが大きくても極小でも関係ない。
それもまた、長い年月人々が作り上げた文化のうえに、平等なのだ。
嫌なことがあった日も、疲れてどうしようもない日も、冴えない日でも、充実した日でも。風呂は平等に僕らを受け止めてくれる。
スーパー銭湯や健康ランドと勘違いしてはしゃぎ騒ぐ者は、やがて常連客に密告され、店主から注意を受けるだろう。
門はいつでも開かれている。
だが、ルールが守れないなら、来なくてもいい。
そういう「世界」は、一朝一夕には出来上がらないだろう。何でも受け入れていたら、そこに平等は生まれない。
外から見れば排他的で妄信的な「世界」は、実は中身は平等で、その小さな平等な世界の連続が人々の心を満たし、日常のバランスを保っているのかもしれない。
人は、インターネットのもとには平等ではないのである。(100年後は成熟されているといいな)
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Category : ニッキ
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