2022 2/22 01:56
やっぱりこの街は映画みたいだなと思った
聖蹟桜ヶ丘に暮らして8年と半年が経った(中途半端…)
2013年にこの街に引っ越してきた理由は
1・彼女の家が近かった
2・タワレコがあった
3・彼女の家が近かった
4・銭湯があった
5・彼女の家g
なのですが、2、4に関してはなんと引っ越してきてから半年くらいでどちらも閉店という悲しい現実に遭い、1・3・5に関しても、そう何年と経たないうちにその理由を失い(涙)、もはやなんでこの街に住んでいるのか、と思ったときもあったわけだが。しかし時は流れ、最初のクソセマアパートに2年、そしていまのヤヤセマアパートはもう3回めの契約更新を終え、今に至っているわけであります。
その間に、小さなコーヒーショップに出会ってブラックコーヒーを飲めるようになったり、飲み屋では近所の常連さんたちと仲良くなるという「一人暮らしの憧れ」を達成したり、果てには、通っていたカフェの跡を引き継いでお店を構えたり(急に話が飛びすぎ)して、年を追うごとにここがマイホームタウンであるという意識が強くなってきた。
東京に産まれると、帰れる「地元」がある人達を羨ましく思う時がある。帰省し違う空気を吸って(それは概ね東京より美味しい空気だ)、また帰ってくる。その行為を東京出身者はできない。こと自分に関しては引っ越しや学校の都合で地元の繋がりが希薄であり、それは人生を送る上ではクリティカルではないものの、一定のコンプレックスとして心の隅に常に寂しさが存在していた。
しかしここ数年、ようやく街に出て人と出会うことで、街と共に暮らしているという感覚になってきている。
そうすると、それはもう何本か映画が撮れそうと言っても過言ではないくらい、自分の周りの人達の間にいくつもの物語があり(一番ワクワクするは恋愛系のやつ)、その中に暮らしている自分が少し誇らしく思えてきたりする。
街は息をしている。建設中のタワマンは少しずつ高くなっていくし、当たり前のようにあった花屋と八百屋はそっと店じまいをする。一人ひとりの生活も少しずつ変わっていく。ひょっとしたらタワレコが戻ってくるかもしれないし銭湯も復活するかもしれない。駅前にシャトレーゼが出来て歓喜したように、今度はコメダ珈琲が出来るかもしれない(太っちゃう)。
この呼吸をする街の中で自分も生きる。
今はそれが楽しく、出来ればその幸福を長く感じていたいと思った。