定食屋事件簿『ナチュラルに』

週に一度は行く、お爺ちゃんが切り盛りする定食屋B。
特別なメニューは無いが、魚の定食が何種類かあるのが良い。

たまに天然ボケを発揮する店主のお爺ちゃん。
客もまたお爺ちゃんが多く、店主のお爺ちゃん×客のお爺ちゃんの組合わせになった際、要はボケ×ボケという構図になるため、事件が起こりやすい。

先日、食事を追えた客のお爺ちゃんが、お盆をカウンターに上げ、ごちそうさま、と言い残し、店主のお爺ちゃんも「いつもありがとうございます」と返し、客のお爺ちゃんはゆっくりと退店。
(ちなみにこの店主のお爺ちゃんは、初めてきた客にも「いつも」ありがとうございます、と言う。)

実にゆっくり時が流れる昼下がり。いつもの光景のように思われたが。

別の客「あれ、今の人お代払いました?」
店主のお爺ちゃん「・・・・・・あれ?もらってなかったか。はっはっはっ」

・・・

客のお爺ちゃんのゆっくりした動作から、食い逃げする気は毛頭無いだろう(毛髪も無かった)。

思わず、「ナチュラルに食い逃げ〜」とPerfumeの声が頭の中で再生された、平和な午後1時の事件簿でした。

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Category : ニッキ

あのとき食べたパウンドケーキの味は

すっかりライブから離れてしまった。
最後に行ったのはもう10ヶ月も前、時はもうコロナ禍に片足を突っ込んでいた3月初旬、こっそりと下北RegにKOGA RECORDの企画を観に行った。MUGWUMPS(ドラムのKOZOさんは学生時代のバイト先の先輩!)にSpecialThanks、For get me a notsと、僕らが青春時代を共にし、途切れながらもしぶとくその音楽を続けていてくれているキャリアの長いバンドに、Lucie,tooという新顔を加えたラインナップ。本来ならもっと汗をかき、その感想をSNSで披露するべき素晴らしい企画だったのだけど。そうさせなかった世の中の風潮と、それに屈して行ったことを隠していた自分にはつくづく嫌気が差す。

今でも記憶に残っているライブの話をしようと思う。

そのライブは調べたらちょうど10年前の12月。
渋谷o-nestでのandymoriのライブ。ドラマーが交代した直後だったと思う。既にワンマンのチケットは取りづらくなっていたけど、企画ライブは小キャパの箱でもわりと簡単に取れたので、当時はそういうライブを狙ってandymoriのライブを観ていた。(mixiで知り合った、ちょっと年下の女の子と良く通ってたなあ)

1曲めだったかな、わりかし始まってすぐに壮平のギターのストラップが壊れて、ええい!もういい!みたいな感じでヤケになり、ギターなしで数曲を駆け抜けていた。それがまたとんでもない熱量で、まさに、歌うというよりは駆け抜ける、という印象。圧倒され、凄いものを観ているな…と顔がニヤついたのを覚えている。(何曲かそんな感じで、その後はギターが復活した)

o-nestはホールの上の階にバーがあって、対バンライブとかだと出番を終えたバンドマンがそこで飲んでたりするのだけど、その日はandymoriの面々もライブ後にバーで休んでいて、当時上昇気流に乗りかかっていたandymoriに接触するには今しかないと、僕らはメンバーに接触を試みたのだ。
壮平はストラップが切れて思うようにいかなかったライブに少し落ち込んでいる感じだった。その横には、彼女だったのかどうか、かわいらしい女の子がいて、僕らが壮平に話しかけている間も嫌な顔をせずにそっと横に座っていた。すると、壮平が「食べる?」と、その女の子が焼いてきたであろうパウンドケーキを僕らに勧めてくれたのだ。
その味はもう何味だったか忘れたし、もしかしたらパウンドケーキじゃなくてガトーショコラだったかもしれないけど、その時の壮平のやりきれないような表情と、ニコニコと愛想の良いその女の子が作り出した空気は、確かにあの時、ほんの数秒だけだけど、僕らだけの空間だったのだ。

都会のライブハウスの片隅で起こった数秒間の出来事だけど、ほんの少しだけ、andymoriというバンドが醸し出す素の空気感を味わった気がして、なんだか嬉しく、誇らしい気持ちになった。
(ちなみにその後なぜか壮平とは写真を撮らず、ヒロシと2ショットを撮ってもらいました。なんで壮平と撮らなかったんだろう。笑)

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Category : オンガク

平等な「世界」

人は二郎のもとに平等である。
一度列に並んでしまえば、「ラーメンを欲する者」として、年齢も職業も関係なく平等になる。年収が高くても、モテても。ニートでも、腹が出てても、髪が薄くても。童貞でもヤリチンでも。
総帥が興し、長い年月数多のジロリアンが作り上げた一つの世界観のもとに、平等なのだ。
慣れない者は、自ら学び慣れるほかない。法を犯すものには、容赦ない制裁(冷めた接客・視線)が注がれる。肌に合わない者は、去るのみ。極めて全体主義的で、危険な空間ではあるが、信念(ラーメンを愛する心)を持った者に対しては、格差は無い。
そんな平等な「世界」を求めて、人は二郎に集うのかもしれない。

人はまた、銭湯のもとにも平等である。
背中に絵が書いてあっても、何日間か風呂に入ってないであろうテカテカな髪をしていても、イチモツが大きくても極小でも関係ない。
それもまた、長い年月人々が作り上げた文化のうえに、平等なのだ。
嫌なことがあった日も、疲れてどうしようもない日も、冴えない日でも、充実した日でも。風呂は平等に僕らを受け止めてくれる。

スーパー銭湯や健康ランドと勘違いしてはしゃぎ騒ぐ者は、やがて常連客に密告され、店主から注意を受けるだろう。

門はいつでも開かれている。
だが、ルールが守れないなら、来なくてもいい。
そういう「世界」は、一朝一夕には出来上がらないだろう。何でも受け入れていたら、そこに平等は生まれない。

外から見れば排他的で妄信的な「世界」は、実は中身は平等で、その小さな平等な世界の連続が人々の心を満たし、日常のバランスを保っているのかもしれない。

人は、インターネットのもとには平等ではないのである。(100年後は成熟されているといいな)

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Category : ニッキ

最近見た映画(序)

ブログを書くことに関しては、3日坊主を地で行っているでお馴染みのキウチです。

誰の糧にもならないからいいや、と思いつつも、書かないことは実は一番自分の糧になっていないということにようやく気が付きました。感じたことを開放すればまた何かが生まれるかもしれない、という期待を持って。

配信サービスのおかげですっかりTSUTAYAにも行かなくなってしまった。何に関してもそうだけど、「便利になって行われなくなった行為」には何にも変え難い価値があったというのを、このご時世になって感じるようになった。
恋人とフラッとTSUTAYAに寄り、何を観ようか、これがいい、あれは嫌だ、結局俺が全く観たくないディズニーの映画に落ち着く。あの時の無駄に思えた数十分には、実は、テレビの前でポチポチリモコンを操作して映画を選んでいるだけでは得られない幸福が含まれていたのだ。(いや、そもそも今恋人いないから補正入ってんじゃん、というツッコミはなしで)
え、恋人がいれば、テレビの前でポチポチリモコン操作して映画選ぶのも楽しいって?
いやいや、TSUTAYAでパッケージ取って裏面のあらすじ読んだりさ、「お互い10分間で観たい映画3本選んでその中から決めよう」とかいって別行動して探したりさ、のれんをくぐる男性に対して「俺は今彼女と来ているから、のれんの中には用は無いのだよ」という無駄な優越感は、テレビの前でポチポチやってるだけじゃあ、感じられんのだよ!

「便利」とは違う角度だけど、こういうご時世になって増えた「配信ライブ」というものに全く興味が湧かないのだ。15年以上ライブに通い続けた大好きなアーティストも、沼にドハマリしたアイドルも、何度が配信ライブを行っていたが、どれもスルーしてしまった。
つまり、自分がライブに求めていたのは「音楽を聴く」ということではなく、「空気を感じる」ことだったのだ。

チケットが手元に届いた時のワクワク。
何時に駅に着いてあそこのロッカーに荷物入れて、終わったあとはあの銭湯に行って…でも終電間に合うかな、と計画する時のソワソワ。
早くお目当て出ないかなと思って聴く気はなかったけど、実は初見の対バン相手もすごく好みだった時の、お得感。
暗くなってSEが鳴った時の胸の高鳴り。
一番好きな曲を序盤にやっちゃった時の、もう満足したから帰ってもいいわ感。
アンコールでブチ上がるのを期待してたのに、静かな曲で締められた時の、それじゃない感。

それを全部含めての「ライブが好き」だったんだ。

配信ライブをして活動をしなければ、アーティストは死んでしまう。俺も好きなアーティストが死んでしまうのは嫌だ。
でもこんなご時世でも、やっぱりライブで感じる事ができるものを、アーティストには求めたい。心が死んでしまう前に!

映画の話をするつもりで書き始めたのに、だいぶ逸れてしまいました…
偉そうにTSUTAYA論について語った自分も、月額を払ってるし…ということでNetflixやAmazonプライムのお世話になっている今日このごろ、次回あたりから観たものを紹介できればいいな…。

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Category : エイガ,ニッキ

#22 vs北九州 1-0 熱交換

西が丘での北九州戦、本当に久しぶりに情熱と熱狂を肌で感じた90分だった。

フットボールの興奮は、ピッチとスタンドの情熱の投げ合いがあってこそ生まれるエネルギーだ。
激しくぶつかり合い、勝利への執念を見せてくれる選手の熱を受け取ったら、それ相応の熱をこちらからも返さなければ、フットボールは成立しない。
その熱交換が、世界中の人を興奮させ、狂わせ、落胆させ、伝説が生まれ、文化となる。

早くチャントを歌いたい。
思い切り選手たちに熱を返したい。
このままじゃフットボールの新しい伝説は生まれない!

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Category : フットボール