
東京ヴェルディアドベントカレンダーにて、12/19の記事を書かせて頂くtogoと申します。
まず、こういった楽しい企画を立ててくれた緑がちるさんの、行動力とヴェルディへの愛に、敬意と感謝を。ありがとうございます。
「楽しそう!」と思って何も考えずに、この企画に参加してしまった約1ヶ月前の自分を若干恨みながらも、この企画がなければ恐らく放置したまま2025年を終えていただろうこのブログに、新しい記事を半強制的に(自分で参加表明したくせに)書く機会を与えてくれたことを前向きに捉え、眠い目をこすりながらキーボードを叩いている12/20の夜中1時。(もう締切過ぎてるやんけ!)
テーマはヴェルディのこと……。うん。広すぎる。笑
応援のこと、J2の時のこと、好きな選手のこと、思い出の試合、楽しかったこと(1割)、キツかったこと(9割)、はたまた問題提起は重くなっちゃうしな……とネタを探っていたら、堂々巡りになってしまい、最終的に「自分、なんでヴェルディ応援してんだっけ」というところに行き着いた。なんで、ヴェルディ応援してんだっけ。
ここで、冒頭の写真である。
ヴェルディサポーターの方ならピンとくる景色。正確な年はわからないが、恐らく1992年〜93年くらいに撮られた、私と父の写真。撮影場所は、そう、ヴェルディグラウンドの前の坂だ。
坂に沿った「菅さくら公園」と「フルーツパーク」で遊んだ記憶。そしてよみうりランドの駐車場の方から、プリメーラグラウンドで走る選手達を眺めていた記憶。それが、自分の脳味噌の中で、ハッキリと映像で浮かび上がる、ヴェルディとの接点の一番古い記憶だ。
日野で産まれて、川崎で育つ
私は、1987年に東京都日野市の高幡不動にある産婦人科で産まれた。今はカラオケボックスになっている場所だ。(昔付き合っていた彼女と、自分が産まれた場所にあるカラオケボックスで遊んだ時はなんか変な感じがした)
母方の祖父の実家が日野にあり、里帰り出産で日野で産まれたのだが、自分の両親は川崎の多摩区に居を構えていたので「出身地」を問われると、日野か川崎か曖昧なところなのだが、今はホームタウン出身ということに誇りを感じたいので「日野市産まれ」を主張している。
では、なぜ当時新婚の両親は川崎に住んでいたかというと、どうやら我孫子だかの団地の抽選に落ちた末に、千代田線沿いに勤めていた父の通勤の便を考慮し、直通で行ける小田急線沿いの川崎市多摩区を選んだようだ。それで必然的に、幼少期の私は、休日は近所のよみうりランド周辺に出かけて遊ぶ機会が多かった、というわけだ。
つまり、両親のくじ運が良く、我孫子だかの団地の抽選に当選していたら……私とヴェルディの出会いの機会は失われていたし、柏レイソルが好きになって、みゃ長が応援の師になっていたかもしれない。両親のくじ運という偶然と、川崎に住んでいたことによる必然が組み合わさり、私はヴェルディと接点を持つようになった。
そして、93年。私が小学校に上がった年にJリーグが開幕し、ヴェルディのお膝元・多摩区のサッカー少年団に入団した私には、もはやヴェルディ川崎を応援する選択肢しかなかったのだ。

ヴェルディグラウンドの横にある、菅さくら公園にて。
川崎球場と、とんねるず
次に、一番古い「選手との接点」についての記憶。それは、「川崎球場」でのビスマルクとのハイタッチの記憶だ。ヴェルディの話しなのに、なんで野球場が出てくるのかというと……。
開幕当初は、いくら地元とはいえヴェルディの試合を観に行くという事はとてつもなくハードルが高く、我々一介のサッカー少年にとってヴェルディとの接点といえば、少年団が招かれるイベントくらいしかなかった。
その一環で、川崎球場で行われた、とんねるずの生ダラのサッカー企画(ノリさんの芸能人チームとヴェルディとのサッカー対決だったはず)の観覧として少年団が招かれた、というわけだ。その日は収録の観覧だけでなく、川崎球場のフィールドに降りて選手とリフティング対決やミニサッカーが行われ、そこで初めて、ヴェルディの選手を間近で見ることとなる。ビスマルク、そして阿部良則とのハイタッチ。それが、一番古い選手との接点の記憶だ。
当時のヴェルディといえば、巨人的な全国区の人気を目指したスター軍団で、ホームタウン軽視という固定観念が付きまとうけど、実際はしっかりと地元のサッカー少年に対して接点を設ける活動をしていたように思う。
更には、等々力競技場にサッカー少年が集められ、ヴェルディの紅白戦を観戦した記憶もある。紅白戦ですら、当時のサッカー少年達にとってはヴェルディと関わる貴重な機会だったのだ。(多分菅原は出てた)
「俺が応援しなきゃヴェルディヤバい」
学年を重ねるに連れヴェルディの成績は落ち、そして私にも転機が訪れる。祖母が亡くなり単身となった祖父と暮らすために、96年、小学校4年生の時に日野に舞い戻ることとなる。当然、よみうりランドや等々力競技場との距離は離れ、さらにヴェルディも凋落の一途を辿りつつあったので、思い入れが一時期停滞する。あれだけ熱狂したフランスW杯予選も、カズと北澤の落選によって本大会にはそれほど熱が入らなかったし、血迷って中学校では野球部に入ったり(結局厳しくて1学期で辞めた)。
99年、久しぶりに等々力競技場に観戦に行った際、閑古鳥が最盛期を迎えていたヴェルディの惨状を目の当たりにする。応援が1階と2階で別々にやっているし、そもそもどちらも人が数えるほどしかいない。それでも、カズもラモスも武田も柱谷も去った中、李国秀総監督の下、北澤中心に躍動する新生ヴェルディを見て、どこか放っておけない気持ちになる。山田卓也、米山篤志、林健太郎、小林慶行。今まで全く知らなかった選手達が緑を纏い、上位争いをしていた。お気に入りは浦和戦(等々力なのに8割赤かった)でロングシュートをぶち込んだジェフェルソンだった。
このあたりで明確に、「華々しくて憧れだったヴェルディ」ではなく、「俺が応援しなきゃヴェルディヤバい」という応援思考に完全に切り替わる。
そして、その思考を決定づけ、その後約25年の自分の人生を縛り付ける事になる、ある光景を目の当たりにする。
自分の脳裏にいつまでも残り続ける、99年9月18日、横浜国際競技場(現日産)での記憶……。
つづく

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Category : ニッキ,フットボール

BiSHから続いてきた幻影のようなものが、アユニ・Dの手によって引き裂かれて、新しい生命体が生まれたような感覚。もちろんそれは前向きなエネルギーに満ちたものだった。
2025年8月11日、日比谷野外大音楽堂。
夏の夜の野音でPEDROが聴ける、というだけで、しばらくPEDROのライブから離れていた人間を引き戻すには十分なシチュエーションだ。
「久々だし、新曲ばっかりだったら盛り上がれるかな。昔の曲も沢山やってほしいな」と、はじめは完全に物見遊山だったのだが、このシチュエーションは、新しいPEDRO、生きたPEDROを見せつけ、再び虜にさせる為に用意された場だったのか、ということに、ライブの後に気づくことになる。
ライブは「NIGHT NIGHT」「GALILEO」「夏」と、いわば「BiSHのアユニ・D」のソロプロジェクトとしての印象が強い時期の曲を立て続けに掻き鳴らしスタートした。この時期の曲はアガる。アガるように作られているから、間違いなくアガる。そういうPEDROも、それはそれで大好きだ。曲が乗せてくれるのも別に悪いことじゃない。
最近のPEDROは昔の曲をやらない、という先入観を持っていたので、少し拍子抜けしたような感覚もあったが、離れていた人間をまずはゼロ地点に戻す為には最高の立ち上がりだった(セットリストを考えた人は絶対策士)。
だが、良い意味での異変を感じたのは、4曲目の「東京」。
この曲もBiSHと並行して活動している時期の曲で、初の武道館ライブ「生活と記憶」でのパフォーマンスがとても心に残っている。
この武道館のライブを経て、BiSH解散、そしてPEDRO再始動となる流れの中で、どうしてもこの武道館での「東京」のパフォーマンスが忘れられずになかなか現在進行系のPEDROに戻れない、という思いがあった。「東京」は、それまでのアユニの人生そのものを歌ったような曲で、これこそがPEDROだと思っていた。
ただ、この日の野音での「東京」は、武道館で感じたものと全く違った。何が違ったんだろうか。それを言葉で表現できないのがもどかしい。ただ確実に言えるのは、「アユニさん、なんか強くなってる…」ということ。声なのかバンドの音なのか表情なのか。ちょっと儚げなところが魅力なアユニ、という印象をぶち壊すような強さ。
次の曲「感傷謳歌」も、ちょっとアイドルチックなポップチューンという印象だったが、いろんなものを乗り越えてありのままで勝負してます、という気概を感じさせてくれる一曲に変貌していた。特に、「無能な鷹だから、爪を見せびらかしてる、得意技は無いのに」という、「本当本気」のアンサー(と勝手に捉えてるけど)の部分は、歌詞に果実が実ってきたというか、本当本気のアユニ(第一形態)→感傷謳歌リリース時のアユニ(第二形態)→今のアユニ(第三形態)という進化を感じさせられた瞬間でもあった。
そこからのパフォーマンスは圧巻。
細部まで聴き込んでいない曲も多くあったが、曲に乗せられるのではなく、アユニのパフォーマンスと発せられるエネルギーと、バンドとして束になって迫ってくる音が、心を湧き立てた。曲も間違いなく良いんだけど、ライブでしか感じられないバンドの力で、知らない曲でも体が自然と動いてしまうような感覚だ。
このステージに至るまでの経緯(アユニの進化の道程)は、SNSだけの情報で「アユニ痩せちゃってなんか元気無さそうだしツイートもちょっと心配」と傍観者だった自分に語る資格は無いので、このドキュメンタリーをぜひ見て頂くことをオススメします。
こういう感想を踏まえてもっかい最初っから観たい、とは思うんだけど、このエネルギーを最初に生で受け取ったときの衝撃といったら、どんな音源を聴いても映像を見ても、それに上回るものは無いんだよな。だからライブって最高だし、ライブDVDって買ってもあんまり見る気が起きないんだよな。(出たら買うけど)

夏の夜の日比谷野音。雨上がりに響く虫の声と、ステージ上でのアユニの一挙手一投足が、今も目と耳と肌に焼き付いて離れない。
ステージまでの距離を感じさせないほどに、その表情までもが克明に。
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追伸:
そんな素晴らしいPEDROに呼応するかのように、CENTも素晴らしいミニアルバムをリリースした。
今のCENTを思い切り表現しているアルバムですので、ぜひ手にとってみて頂けたら嬉しいです。
何故か何枚も持っているので、ご興味があればお渡しいたします。(この点ではBiSHの幻影を引きずりまくってる件)
最後に推しのことも忘れてないぞ、ということをアピールして締めます。
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Category : オンガク
アウトプットが最大のインプット、という言葉をツイッターで見かけ、確かにその通りだなと思ったのでキーボードに向かい合ってみる。
書きたい話はたくさんあるけど、読んでる人を意識して面白く書くのって面倒だよな〜(じゃあブログやるな!)と思いながらも、「アウトプットが最大のインプット」とのことなので、困った時の週報じゃあ。
5/26 月
写真を見返すと、銭湯に行った記録しか残っていなかった。
月曜は、オキニ銭湯の国立・鳩の湯と府中・旭湯がどちらも定休日なので、必然的に府中・桜湯になる。桜湯にはラドン湯というのがあり、いつも壁に書いてある説明書きを読みながら浸かるのだが、イマイチ何がどう良いのかは理解できず、でもポカポカするので、ラドン湯⇔水風呂を数往復するのが決まりだ。どれくらいポカポカするかというと、風呂に入った数時間後に床に就いた時に「今日の俺の下半身、なんだかぽかぽかしてる…」(綾波レイの声で)と感じるほどに。
桜湯は、休憩室の壁がびっしり漫画で埋まってるのだけど、いつも閉店30分前に行ってサクッと入るだけなのでその楽しみを享受できずにいる。
こっそり銭湯のインスタ始めたので、よかったら。
https://www.instagram.com/cent_to_sento/?hl=ja
5/27 火
Googleカレンダーには21時から「筋トレ」と入ってるが、多分やってない。(記憶にない)
先週末に遊びに行った「森、道、市場」の余韻が残りまくっていたので、「森、道、市場」に出店されていたtakbeansさんにコーヒーを飲みに行く。3日前はフェス会場で飲み、この日は地元で飲む。
「森、道、市場」の記録も残しておきたいので、別の機会に(半年後でしょうか)
夜、TikTokでおなじみの「ただつわたなべ」のお二人がフォロワー10万人記念配信をしに、くさびやに来てくれた。配信も面白かったんだけど、この2人は、撮影の合間とか、誰も聞いてないタイミングでの日常会話が一番おもしろい。(それをこっそり聞くのが楽しい)

5/28 水
色々あって朝方まで仕事をしてソファで寝て、目が醒めたら全然寝坊。午前中の打ち合わせの資料はもちろん未完成なので、起き抜けでキーボードを叩く。こういう時の驚異的な集中力は、どこから出てくるのだろうか。このパワーを常に出せたらもっと稼げてるはずなのに。
昼、2000円のメロンクリームソーダを飲む。
グラスがくさびやと同じだった。
夜、ビーチサッカーの練習。こんなLINEを送ってきたくせに、高松が来てなかった。
5/29 木
翌日から福岡入りするので、今週のタスクをこの日に終わらせなければいけない。
もちろん終わるはずはなく、また朝方まで仕事をし、寝る間もなく福岡へ飛ぶ。
5/30 金
朝から福岡へ。試合は土曜だが、前日入りにはもちろん理由がある。昨年、九州に初上陸したラーメン二郎に行くためだ。
到着し荷物をホテル(スパって名前についてるのに風呂がついてなかったホテル)に預け、その足で西鉄に乗り「朝倉街道」へ向かう。「カイドウ」ではなく「ガイドウ」と読む。
実は昨年も朝倉街道に行っている。昨年の目的はフランス料理店。今年は二郎。
https://www.instagram.com/p/DAHQdijTnYe/?img_index=1


店主は新代田の助手の方とのこと。
小ラーメン、ニンニクヤサイカラメ(トッピング生卵、ネギ)
デロ麺、やや乳化、クタ野菜(キャベツも多くて嬉しい)、豚はプリップリ。デロ麺にスープがよく絡み、味わって食べられる二郎だった。
その後は散歩したり、コーヒーしばいたり(博多は本当にいい感じのカフェが多い)、夜は久しぶりのびっくり亭。二郎もびっくり亭も、野菜が沢山で健康的ですね。
(ヤママチミキのアクスタが油まみれになっていた)


ただ、飯を食うだけでも、しかもさほど値段の張らない飯でも、これだけの満足感を得られる博多の街。ごちそうさまでした。
5/30 土
試合があったので応援。
仲間の大半はこの日のうちに帰京。残された俺は何をするでもなく、銭湯に行き夜の中洲を散歩して、屋台でラーメンを食って寝ました。
5/31 日
もう一泊したのは、afterglowに行くため。昨年に続いて2度目の訪問。
昨年はカレーだったので、スリランカプレート(ヤギ)を注文。美味くて感動した。美味い!と思う料理は沢山あるんだけど、これは感動に達した。プレートのオカズが全部美味い。毎日食いたい。

ゆっくりしていたら、意外と帰りの飛行機の時間が迫っていたので、時短のためにタクシーに乗る。運転手のおっちゃんが「また外資系のホテルが建つ」とボヤいていた。いくらそこが儲かったって、全部外国に金がいっちゃうんだよなあ、と。
また来年も、微力も微力だが博多の美味い飯に金を落としに参上したいと思います。
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Category : ニッキ
唐突に書く気が起き、すぐにその気が萎む、でお馴染みの当ブログ。
年末の報告です。
12/28
店長の娘さんが20歳の誕生日を迎え、営業終わりの0時ちょうどに乾杯をした。彼女の人生にとって大切な瞬間に立ち会えた事が嬉しい。知り合った頃はあどけなさが残る高校生だったが、たった数年で立派な社会人となり大人への階段を駆け足で登っている。自分はこの数年で体重と白髪が増えただけ、とか言う自虐で逃げたら終わり。向き合います。
そそくさと帰宅し、荷造りをして羽田に車を走らせる。
駐車場は繁忙期料金で馬鹿にならない料金だが、早朝便のやすさと天秤にかけて、早朝便を取った結果である。年末年始に飛行機なんか乗るもんじゃない。それ相応の理由が無ければ。

前日に隣国で墜落事故があったので、少し緊張した。
今回はそれ相応の理由があるから飛行機に乗ったのだ。
相応の理由、それは何を隠そう「なんくるないさ〜CENTと沖縄年忘れつあ〜」だ。マジ相応でしょ。
着後、カフェに行ったりホテルで昼寝したり、年末の沖縄の無駄遣いにも程がある過ごし方で暇を潰すが、あくまでここに来た理由は「なんくるないさ〜CENTと沖縄年忘れつあ〜」なのだから、問題なし。
初日は夜に那覇のライブハウス、outputにてライブ。
ライブ中の視界。視界目前30センチに演者の靴が見える状況。
ライブに行き目線のやり場に困って思わず床を観てしまったのは初めての経験だった。
音楽評論家ではないので、ライブの良し悪しやどこがどうだった、とか論じる術は持たないが、結局ライブというものは、観て幸せになれればそれで万事OKなのではないでしょうか。年末の沖縄のライブハウスで、セントチヒロ・チッチの歌を聴き体を揺らす。歌声も発する言葉ももちろん好きなんだけど、彼女のパフォーマンスのちょっと不器用なところが好きなんです。それでいて、しっかりと魅せてくれるところ。
スルッと綺麗にライブが終わってしまったら、逆に違和感があるような、そんな不器用さは、ここから先も消えないで欲しい。そんな思いに耽ってしまうような、彼女の魅力がすべて詰まったようなライブを魅せてくれた。万事OKです。
12/29
この日はいよいよ朝から「なんくるないさ〜CENTと沖縄年忘れつあ〜」のメインイベントだ。まずは用意されたバスに乗り込み(バ●バ●バスツアーみたい、と思った自分を殴りたい)、おきなわワールドというテーマパークでセントチヒロ・チッチと共にシーサーに絵付けを行うというアトラクションを楽しむ。
洞窟体験がメインのテーマパークだったので、むしろ絵付けより、その後の自由時間で洞窟を観たい…という思いに駆られていたが、時間が足りず断念。いいんだ、今回は「なんくるないさ〜CENTと沖縄年忘れつあ〜」で来てるんだから。なんくるない。


おきなわワールドは、次回普通に楽しみに行きたいです。
ビーチ(めちゃ寒かった)で集合写真を撮ってから、再びバスに乗り国際通りの沖縄料理屋のどデカい宴会場へ。ここで、各テーブルをセントチヒロ・チッチが周り、しばしご歓談したり、ビンゴしたり。
大手飲料メーカーのCMに出演されている都合上、本人はオリオンビールと一緒に写ってはいけないとのことで、宴会場での写真撮影はNGに(オリオンビールのTシャツを着ていた方は、上着のファスナーを締めるように言われていた)。おお、なんかこういうのあると、一気に大物になった感がある。もうアイドルグループの一員ではなく、CM女優なのだ。
セントチヒロ・チッチが各テーブル(1テーブル10人程)を周る中、自分達のテーブルの順番が近づくと、自分も含め皆一様にソワソワしだした。もう絵に描いたようなソワソワだ。皆あからさまに口数が減る。一人が、持っていたフリスクを皆に配ってくれて、息を清める。これで、テーブルに程よい一体感が生まれた。ありがたかった。
時間にして十数分、セントチヒロ・チッチとの会話を楽しむ。我々のソワソワを見兼ねて、全員に均等に話を振ってくれる優しさを見せるセントチヒロ・チッチ。そういうところが好きなんだよ!!!!
ビンゴは当たらなかったが、同テーブルの人が良いグッズを当てていて、皆でそれを祝福する。もはや同志である。ソワソワの同志。
「なんくるないさ〜CENTと沖縄年忘れつあ〜」はつつがなく終了し、その後はソワソワの同志で二次会をした。ライブ後といえば大抵一人でラーメンをすするのが定石だったが、今回は一連の一体感のおかげもあり「仲間が出来た」という感覚に。住む場所もオタクになった経緯もばらばら。それぞれのオタクストーリーに花が咲き、時間が経つのも忘れる程の、年末の国際通りでの楽しい宴だった。
楽しい夜。
こうして、年末の馬鹿高い航空券で沖縄へ行く「相応の理由」は幕を閉じた。
この際、お金のことを話すのは野暮である。何のために人は働くのか。その答えが、年末の沖縄にはあったのだから。

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Category : ニッキ
人生何があっても、この瞬間だけは何もかも忘れて心が満たされる。というくらい昼間の銭湯が好きだ。
できれば、しっかりと太陽の光が入る銭湯が良い。天窓だとパーフェクトである。
差し込む太陽に照らされるお湯、まばらな客、カコンと響く洗面器の音。これが幸せの3条件。
都内での仕事の帰り、茹だる暑さに悶え、水を浴びなくては生きて帰れないと思い近隣の銭湯を探したところ、徒歩15分のところに、水風呂付きの銭湯があった。
15分歩くのであれば、まっすぐ駅に行き帰路につく方が効率的かつ余計な汗をかかずに帰れるが、一旦銭湯に行くと決めた心は揺らがない。
着く頃にはシャツもパンツもぐっしょり。汗をかくことを想定して替えのTシャツは持っていたが、パンツまでは持ち歩いていなかった。番台でパンツはありますか、と訪ねたところ、なんかすごい奥の方から埃のかぶったトランクスのパッケージを引っ張り出してくれたが、数百円を惜しんで新しいパンツは諦めた。
見えるもの、聞こえる音のすべてがパーフェクトな銭湯だった。
水風呂の水温は25℃。おそらくサウナーと呼ばれる人たちからは、ぬるいと一喝されそうな水温であるが、サウナには入らず、お湯と水風呂を交互に入る自分にとっては、ちょうどいい温度設定だ。
25℃の水風呂に浸かって目を閉じていると、子供の頃に家の浴槽に水を張って浸かっていた感覚を思い出した。
あのときの水の温度と同じだ。
冷たさとぬるさのちょうど心地の良いところ。
夏休み、川崎のアパートの風呂場、セミの声、薄暗くも塀の隙間からこぼれて入ってくる太陽の光、ウルトラマンの腕がクルクル回って泳ぐおもちゃ、あがったのあとのチューペット。
何の変哲もない夏休みの一日だけど、25℃の水風呂のおかげで鮮明に記憶が蘇った。
帰りにコンビニでチューペットを探したけど無かったので、クーリッシュをチューペットがわりにしてチューチューしながら、駅に向かった。
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